あれから9年

3.11

忘れてはならない日付。

未曽有の災害で日本が試されたあの日。

そして、今も試されている。


2011年3月11日

この日の事は鮮明に覚えている。

2008年に入社し、3年が経ち収入もだいぶ安定してきた時期。

その頃は、2ヶ月に1度は温泉巡りをしてた。

ちょうど3月11日も登別へ向かっていた。

宿近くのコンビニに寄ろうとして、車を降りた瞬間だった。

車が少し跳ねていて、車内の子供達が暴れているのかと思い確認すると

みんな席につき不安な顔でこちらを見てる。

地方に多いコンビニの大きな看板が揺れていることに気付いて

地震なのだと理解した。

北海道は地震が多い地域なので、体感で震度4くらいなのかと判断。

揺れが落ち着き、店内に入ると客も店員も驚きを隠せずにいた。

店内の商品が散らばることはなかったのは不幸中の幸いだった。

宿に着いて状況を確認すると、

「東北ではすごい事態の様です」と伝えられた。

部屋に入ってテレビを点け、報道を見るとそこには想像以上の映像が流れていた。

酷い奴と思われるかもしれないが、

地元に地震が来なくてよかったと思ってしまった。

それほどに衝撃的な映像だった。

それからは、家族で楽しむはずの温泉も子供達が報道を恐がり、入浴もためらっていた。

翌日は早い時間に宿を出て帰宅した。

2011年3月11日の記憶はハッキリと覚えている。

その後、支援物資が足りないと報道があり居ても立ってもいられずに、

紙おむつや粉ミルク、生理用ナプキン、トイレットペーパーなど不足していると言われているものを友人知人から集めて、会社の配送システムで現地に送った事もあった。

地震という自然の脅威に、恐れおののき、立ち上がり、出来ることから支援する経験をした9年前。

9年後の今はどうだろう。

考えなければならない事がたくさんある。

判断しなければならない事がある。

伝えなければならない事がある。

我々は今もこの先も試されている。


改めて、

地震の被害あわれた方々のご冥福を祈ります。

そして、いまだに仮設住宅やもとの環境で生活が出来ていない方々の改善を心より祈っております。

SHOGO KAWAHARA

Connector(コネクター)として全国を飛び回る河原将吾のすべてを発信。

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